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「京焼・清水焼のはなし1〜江戸時代末まで〜」
【「京焼・清水焼とは?」】
一般的に「京焼・清水焼」とは、「京都で焼かれた陶磁器」を総称しています。
【「平安時代の京都のやきもの」】
「京都のやきもの」は古くは平安時代初期の8世紀ごろ、「土器を製造」した事に始まるといわれています。
【「室町時代の京都のやきもの」】
室町時代になって中国から伝来した「釉薬の技法」により「色絵陶器が誕生」したといわれています。
【「桃山時代〜江戸時代初期の京都のやきもの」】
「桃山時代」になると「茶道の普及」によって多くの人々に「京都のやきもの」が使われ、「江戸時代」になると、ますます盛んに作られるようになりました。
【「京焼はいつから始まったの?」】
「京焼」は、一般的には「桃山時代の末から江戸初期」に始まったとされています。 それは、慶長10年(1605年)の「神屋宗湛日記」に「肩衝京やき」という「京焼の記載」が残っている事や、「青蓮院文書」には、寛永元年(1624年)に「瀬戸の陶工三文字屋九右衛門が築窯」した「粟田口焼」が「その生産地」であったとされる事から伝えられています。
【「京焼・清水焼の特徴とは?」】
「京焼・清水焼」は、「織部」「備前」などの様に「はっきりとした特徴」があるわけではありません。 「京焼」は、「陶器」もあれば「磁器」もあり、また、「上釉による美」もあれば「色絵の文様美」などもあります。 しかし、「形や色は違っていても」その千年の都の歴史に培われた「伝統と創造の文化」による「繊細でみやびな美しさ」が「京焼の意匠」ににじみ出ているともいわれております。
【「江戸時代の京都のやきもの」】
江戸時代初期から中期にかけて、「野々村仁清」や「尾形乾山」が「繊細で華麗な色絵陶器」をつくりました。 また、江戸後期には、「奥田頴川」が「磁器の焼成技術」を導入し、「青木木米」「仁阿弥道八」「永楽保全」「清水六兵衛」をはじめとする名工達が活躍しました。 この頃から、京都のやきものの「窯」が、「粟田焼」の東山山麓から南下して京都の清水坂周辺に集中するようになり、そのやきものが「清水焼」として広く知られるようになりました。 |